うつ病がマシになるまで

 

うつ病になった。

初めは適応障害だったけど、それが何週間も続くとうつ病と診断されるらしい。

詳しいことは知らないし、別に病名はなんでもいいのではないかと思っている。

病気になった感覚はなかった。ただ漠然と毎日死にたくて、自殺の方法を調べるのが日課になった。

首吊りもいいし、練炭も良さそう、飛び降りもいいな、と毎日自殺の方法を検索しては、やっぱり今日も死ねなかったな、と思った。

そんな私を心配してパートナーが精神科の予約を無理やり取って、診察についてきてくれていなかったら、精神科の医師が私に寄り添ってくれなかったら、私はもしかしたらここにはいないのかもしれない。

いくつもの幸運が重なって、かろうじて生きていられている。

 

うつ病と診断されてから、休職に入るまで二年間働いた。周囲の病気を知っている人たちに、休めと何度も言われても休めなかった。

ある日の朝起きたら涙が止まらなかった。それで職場に行くのをやめた。

仕事を辞めてすぐにこの期間を有効に使いたいと思ってピアノを始めた。ピアノはずっと弾いて見たいと思っていたけど諦めていたことの一つだった。

毎週決まった時間にレッスンに行くのはきつかったけど、先生がとても優しかったので通うことができた。

英語の勉強も始めた。この二つは二年経った今でも続けられている。この二つはいい気分転換になったし、やりたくない日はやらなかった。でも積み上げたものは少しずつでも大きくて、二年経った今も私を助けてくれる。

無職の期間中、お金は貯金でどうにかなった。パートナーにも支えられた。

 

二年経って、やっと毎日の生きる希望が湧いてきた。人生ってそんなに悪くないのかもしれないと思えるようになってきた。

でも、ふと湧き上がってくる死にたいという感情とは、もしかしたら一生付き合っていかなければいけないのかもしれないし、嫌なことがあるとヒステリー球が出るようになってしまって、それにも困らされている。

 

毎日死にたいと思っていた時には気づけなかった周囲の優しさにも気づけるようになった。

実は家族が同じ病気なんです、と言ってもらうこともあった。みんなが私に優しくしてくれることに感謝できるようになった。

それと同時に、自分を攻撃してくる人間に耐えられなくなった。こうするべきだ!こう生きるべきだ!こうして欲しい!と私に求めてくる人間と距離を置くことにした。

 

驚いたのは病気がマシになってからの方が、自分が嫌だな、苦手だな、と思う人間との距離が取れるようになったことだ。以前はこの人にも事情があるのかもしれないし、とか、この人がいなかったら一人になるのではないか、とか考えてしまって距離を取ることができなかった。

でも今は、この人と距離を置いて一人になってもいいし、また別の友達ができるかもしれないし、と前向きに人生を捉えることができている。

 

明日死ぬかもしれないし、と思えるようになった。四十年後を想像して絶望することも減った。人生って何もしなくても何も為さなくても楽しいんだな、と思えるようになった。

 

病気がマシになるまで毎日散歩することもしなかったし、誰かとの約束をドタキャンもしてない。ただただ毎日、どうにか生きていきたいと思って生きた。今日生きることだけを意識した。そうやって毎日積み重ねているうちに、病気はかなり良くなった。

 

HSPの人が生きていくための本もたくさん読んだ。うつ病の人の本もたくさん読んだ。

だけど、本の人が立ち直った方法で立ち直れていないし、HSPの人の生きていく生き方も実践していない。

ただ、足掻いた毎日に意味はあったと思う。

 

死にたいと死にたくないと死んじゃいけないを往復していた毎日には絶対に戻りたくないし、絶対嫌だと思っている。

でもいつかまた戻るかもしれない。

その時はまた足掻いたらいいやと思っている。